西暦77年に大プリニウスによって完成された百科 全書『博物誌』(Naturalis Historia)に、こんな伝説が書 かれている。「その娘はある青年に恋をしていた。そ の青年が外国へ行くことになったとき、彼女はランプ の光によって投げかけられた彼の顔の影の輪郭を 壁の上に描いた」愛しい人の肖像をその場にあった ものに映しとったのである。
 美術史家のヴィクトル・I・ストイキツァは、これがす べてのイメージ(絵画)の起源だと言った。私はこれを 聞いたときから、約 2000 年前の伝説の時代から、現 在も人は変わらないのではないかと思うようになった。絵画は宗教画の時代に聖人の肖像画が数多く描か れることによって一般に浸透した歴史があり、写真も また写真館などでの肖像写真によって民衆に広まっ てきた経緯がある。今は携帯電話のカメラの性能が良くなって様々な写真を撮れる時代になったが、 それでもやはり人 物の写 真を撮ったものが圧 倒 的に 多いのではないだろうか。
 人は、今という時間が必ず過ぎ去ってしまうことの 残 酷 さ を ど こ か で 分 か っ て い て 、そ の 姿 を 目 に 見 え る形で残したいのかもしれない。
 先程の伝説でも、青年が娘を置いて外国に行った のは戦争のためであろうと推測されている。もしかした ら永遠に居なくなってしまう人物の痕跡を、なんとか 残したいと思うのが、何千年経っても人間が持ち続け ている、情(Affection)というものではないだろうか。
 世界のすべての文化に共通する感覚は、そのような 「何かを失ってしまった感覚」だという話がある。それ は何千年前から現代に至っても変わらない感覚なのだろう。

 
 私はこの作品で、何千年経っても変わらない、人の愛情の行為そのものを、写真を使って表現したいと 思っています。
 写真という表現手段の面白さの一つは、完成した写真作品がどこまで抽象的になっていても、撮影され た被写体は、撮影されたその時その場所に存在していたということです。
 今作の現場では、モデルとなる人物のデッサンから始め、愛に関わる話を聞かせてもらいながら、思い 出の曲を流しました。カメラは一枚の紙で隔てられており、モデルからは見ることができません。モデルは 紙に写った自分自身の影と対峙しながら自分の人生を振り返り向き合います。そして、自分自身の記憶の 影(痕跡)へと入り込んでいきます。
 人物を撮影する行為そのものが愛情表現の一つで、その対象への興味と愛情の現れです。
 最終的に写真に映るのはただの人の影でしかないのですが、影の先にあるものは、人か、記憶か、愛な のか。数千年の時を超えて続く人の愛の記憶を記号化し再構築したいと考えています。

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